先取特権を活用して未払賃金の回収を実現したケースについてご紹介いたします。

1.事件の概要

 とある会社(以下「A社」といいます)が、従業員の本年4月分の賃金について、支払わないという事態が発生しました。当事務所は、従業員のうち、42名の方から、未払賃金の回収を依頼されました。
 このような債権回収事案の場合、まずは内容証明郵便の送付から始めるのが通常の手段ではないかと思われます。
 しかし、A社の経営が傾いている疑いがあり、内容証明郵便を送ってしまうと財産を隠匿される恐れがあったため、回収を急ぐ必要がありました。
 そこで、検討の結果、先取特権を利用していきなりA社の財産を差し押さえるという方針となりました。

2.先取特権とは

 先取特権とは、法律に定められた一定の債権を有する者に対して、一定の財産の価値から優先弁済を受ける権利を認めるものです。
 そして、雇用関係から生じた債権を有する者には、この先取特権が認められます(民法306条2号、308条)。

3.先取特権の利点

 先取特権の利点は、裁判を起こす必要が無いところです。
 通常、お金を支払わない相手から、強制的にお金を回収するためには、まず裁判を起こして確定判決を得るか、和解調書を作成する必要があります。
 なぜなら、強制執行をするためには、確定判決や和解調書等の「債務名義」と呼ばれるものが必要となるからです。強制執行とは、相手の財産から強制的にお金を回収する法的手続だと思って下さい。
 しかし、先取特権の場合は、先取特権の存在さえ証明できれば、強制執行と同じことができてしまいます。先取特権等の担保権を実行することを「担保権実行」といいます。同じ担保権実行ができる権利としては、抵当権があります。
 先取特権を利用出来る場合は、裁判にかかる時間を節約できますので、通常より回収に時間がかからないのです。これが利点です。

4.先取特権で問題になる点

 先取特権を実行するには、先取特権の存在を証明する文書を提出しなければなりません(民執法181条1項4号)。この文書を手に入れるのが問題です。
 先取特権の実行は相手の言い分を聞かずにされます。これが裁判と大きく異なる点です。裁判であれば、相手の言い分もきちんと聞いて判断が下されます。しかし、先取特権の実行はそうでは無いので、その分高度の証明が要求されるのです。
 したがって、先取特権を実行しようにも、文書が何もなければどうしようもありません。そして、賃金未払の場合には、先取特権の存在を証する書面を手に入れられず、せっかくの先取特権を実行できないことになってしまうこともあるのです。

5.本件で提出した文書

本件では、下記の3つの書類を提出し、先取特権の存在を証明することができました。
①未払賃金の給与明細書
②前年度の源泉徴収票
③一部の労働者の雇用契約書
 以下、順に説明していきます。

①未払賃金の給与明細書
 A社は、賃金は払っていなかったのですが、その未払分の賃金について、給与明細書だけは発行していました。本件ではこの文書の存在が非常に大きかったといえます。
 なぜなら、未払分について給与明細があるということは、A社が、従業員との間の雇用契約の存在、その賃金額、従業員からの労務の提供について認めているということになるからです。

②前年度の源泉徴収票
 これはA社と従業員との間にそれまで雇用契約が存在し、給料が支払われていることを証明するものとして、裁判所から追加で提出を求められたものです。
 裁判所は、過去に雇用契約の存在と、給与支払の実績があることを確認して、確実を期したかったのだと思われます。

③一部の労働者の雇用契約書
 A社は、従業員から求められた場合にのみ雇用契約書を交付するという運用をしていました。そのため、大半の従業員は雇用契約書を所持しておらず、所持していたのはわずかに2名でした。
 ただ、雇用契約の存在、賃金、労務の提供については、上記①の給与明細で証明可能なため、この雇用契約書で証明すべきは、賃金の支払日です。なぜ賃金の支払日の証明が必要かというと、支払日を明らかにしないと、遅延損害金の額が決まらないからです。
 この点については、提出した雇用契約書に記載されている賃金支払日は全従業員共通であったと主張して、認めてもらいました。

6.差押の結果

 上記5の文書を添付して申立をした結果、無事債権差押命令が出されました。対象となる債権は銀行の預金債権です。これはA社のHPに載っていた取引先銀行に対して行いました。
 結果は残念ながら空振りでしたが、無意味ではありませんでした。
 なぜなら、当該銀行の約款により、差押を受けた場合には、以後差押が取り下げられるまで、その口座からお金を引き出すことができなくなってしまうからです。
 したがって、A社の口座にお金が入っても、A社はそれを引き出すことができません(なお、差押の効力自体は、差押後に入ったお金に対しては及びません)。
 そこでA社の担当者は血相を変えて当事務所に連絡をとってきました。

7.A社代表者及びA社の関連会社の連帯保証

 A社の担当者は未払賃金を支払うので差押を取り下げてくれと言ってきました。しかし、当職らは慎重を期して、A社代表者及びA社の全ての関連会社に対し、A社の未払賃金を連帯保証する旨の覚書を締結することを求めました。A社がこれに応じ、覚書を締結することができたので、当職らは差押を取り下げました。

8.結果

 その後、遅延損害金も含め、未払賃金は全てA社から支払われました。依頼を受けたのが本年6月6日で、A社が支払をしたのが7月25日でした。
上記のとおり、当事務所の迅速な対応の結果、依頼から2ヶ月も経たずに未払賃金を回収することができました。
 通常どおり内容証明郵便を送り、その後裁判を提起する、という手続ではここまでの迅速な回収は実現できなかったと思います。