窃盗被疑事件
札幌区検察庁

事案の概要:万引きで服役経験があるクレプトマニア(窃盗症)患者である40代女性が前刑の刑期満了から5年を経過しない令和4年9月にアパートの隣の部屋に住む元交際相手に届いた置き配商品を窃取した被疑事実で逮捕勾留された窃盗被疑事件です。

当事務所の林大悟弁護士が弁護人に就任しました。

本件は民法と刑法の知識が必要な事案でした。本件の被害品とされたピアスと穴開け機は、被疑者の誕生日プレゼントとして、被疑者の目の前で、元交際相手の男性がアマゾンのインターネットサイトで購入した商品でした。その後、被疑者と元交際相手は痴話げんかをして別れるという話になりましたが、その際、上記の誕生日プレゼントをすることは撤回するなどの話はありませんでした。
上記の事実関係からすると、元交際相手は、被疑者に対して、誕生日プレゼントをあげると言い、本件ピアス等の商品を特定して、アマゾンのインターネットサイトで注文して贈与の申込みをし、被疑者も承諾していることから、この時点で贈与契約(民法549条)が成立します。
この点、本件ピアス等は、種類物であるところ、種類物は、債務者が、履行の場所で債権者が受け取ろうと思えば受け取れる状態に物を置いた時点で特定が生じるから、アマゾンの配達員が、置き配をした時点において、「物の給付をするのに必要な行為を完了した」(民法401条2項)といえ、この時点で特定することになります。
そして、種類物売買の所有権移転時期は、この特定の時期ですから、置き配の時点において、本件ピアス等の所有権は、元交際相手に移転した上、諾成契約である贈与契約の効果として、即時に被疑者に移転したことになります。
よって、置き配された本件ピアス等の所有者は被疑者であると主張しました。
また、本件の諸事情を詳細に検討して、契約の合理的意思解釈から被疑者が本件ピアス等の占有者であると主張しました。
そして、本件ピアス等が入った段ボール2箱が置き配された時点において、種類物が特定し、所有権が元交際相手に、そして即時に被疑者に移転し、本件被疑者が、置き配された本件ピアス等が入った段ボール2箱を手に取った段階で、本件被疑者は、直接占有を取得するとともに、この直接占有の取得は、同時に、本件贈与契約の履行行為と考えることになるから、本件贈与契約が書面によらないものであったとしても、「履行の終わった」(民法550条)にあたることは明らかであると主張しました。
 このような民法上の知識を前提として、窃盗罪(刑法235条)の成否を論じました。
 この点、窃盗罪が成立するためには、客観面では①他人の財物を、②窃取し、主観面では③故意及び④不法領得の意思が存在することが必要です。
ここで、窃盗罪の保護法益は、一次的には占有であるから、①他人の財物とは、他人が占有する財物を指すことになります。
また、刑法上の占有は、直ちに民法上の占有と同義とは解されませんが、窃盗罪の保護法益は、占有保護を通じて究極的には本権(民法上の所有権等の本権)を保護しようとするものですから、基本的には、民法上の占有概念を基礎として占有の有無を判定すべきことになります。
本件において、被疑者が本件ピアス等の入った段ボール2箱を手に取った時点において、所有権も占有権も被疑者に帰属しており、贈与契約の履行も終了したのです。
そうすると、被疑者の本件ピアス等の入った段ボール2箱を手に取った行為につき、刑法独自の視点から、敢えて保護すべき元交際相手の事実上の占有を見て取ることはできないと言うべきです。
よって、本件ピアス等は、そもそも①他人の占有する財物に当たらないというべきであり、そうである以上②窃取も認められません。
そして、被疑者は、元交際相手と別れ話をした後の出来事とはいえ、これまで、①双方の居室を行ったり来たりしており、それぞれの私物についても共用している関係であり、②度々いわゆる痴話げんかを繰り広げ、鍵を返して別れた後に元交際相手が謝罪して復縁することを繰り返す関係だったことから、本件ピアス等が、別れ話の前の贈与契約に基づくものであることから、被疑者において、置き配された本件ピアス等の入った段ボール2箱を手に取ったとしても、その行為につき、元交際相手の占有を侵害したとの認識を認めることは困難です。
また、元交際相手が、被疑者に対し、「これで届くからね。」と述べた点からすれば、置き配された段ボール2箱を被疑者が入手することについて、何ら規範に直面しておらず、反対動機の形成可能性はなかったと言わざるを得ません。
よって、被疑者には、③故意及び④不法領得の意思を認めることも困難です。
 以上から、被疑者に本件ピアス等について、構成要件該当性も実質的違法性も認める余地がなく、窃盗罪が成立する余地はないと主張しました。
 また、器物損壊罪(刑法261条)の成否についても検討しました。
この点、器物損壊罪の保護法益は本権ですから、「他人の物」とは他人の所有物を意味します。本件ピアス等の所有権は、前記のとおり、被疑者にありますから、本件ピアス等は、「他人の物」にあたりません。
よって、器物損壊罪が成立する余地も存在しません。
以上の弁護人の意見書を提出した結果、被疑者は処分保留で釈放後に不起訴処分となりました。

被疑者には、窃盗前科が複数あり、そのことが、このような痴話げんかの延長の本件においても警察において疑念を生じさせ、逮捕に繋がったものと思われます。しかしながら、本件は、痴話げんかの延長であることが経緯から明らかであり、被疑者のこれまでの万引き行為とはそもそも質が異なる上、前記に検討したとおり、本件ピアス等は、被疑事件当時、被疑者に所有権及び占有権が認められ、刑法上も何ら占有侵害を認めることができないものでした。
そもそもこのような事案で逮捕勾留が認められたこと自体が問題であると弁護人は考えています。